鹿児島にはまだまだ沢山の宝があります。 知る人ぞ知る歴史スポットを沢山発掘して紹介します。
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原口泉教授の野外歴史教室「島津氏のふるさと都城を訪ねる」
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2024/11/16(土) 平安時代藤原頼通の荘園だった「島津荘」は鎌倉幕府成立時、源頼朝により惟宗忠久に与えられ、忠久は「島津」を名乗り、島津家初代となりました。島津荘は今の都城の中心地にありましたが、その後日本一の大荘園になります。北郷氏(島津分家)の支配など変遷を経て、独自の文化を築いてきた都城を「原口教授」が大いに語って下さいます。
行程等詳細は次をクリック1116原口泉教授島津のふるさと都城
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四十九所神社若武者の流鏑馬と高山麓
![四十九所神社若武者の流鏑馬と高山麓 四十九所神社若武者の流鏑馬と高山麓](https://kagoshima-shinhakken.net/wp-content/uploads/2024/05/827f165bee1e9f2529343118e16f2190-750x350.jpg)
2024/10/20(日) 高山郷はかって肝付氏が本拠として大隅を治めていましたが、島津氏に変わっても地頭仮屋が置かれ大隅の中心地として栄えてきました。往時の麓の武家屋敷跡が維持されて遺っています。
900年続く四十九所神社の流鏑馬は射手は地元中学2年生(14才)の少年です。たった2ヶ月半の訓練で神業に挑むのです。まさに”少年は神”になるのです。
昼食は新村畜産直営店で大隅黒毛和牛焼肉ランチでお楽しみ下さい。
何やかやあって5年越しのツアーです。是非ご一緒しましょう。
詳細は次をクリック061020四十九所神社若武者の流鏑馬と高山麓チラシ[6150]
八重の棚田と郡山の深い~歴史
![八重の棚田と郡山の深い~歴史 八重の棚田と郡山の深い~歴史](https://kagoshima-shinhakken.net/wp-content/uploads/2024/04/fe71f978c992e8213c745fbc29481b53-690x350.jpg)
2024/09/28(土) 金色に輝く約240枚の八重の棚田は甲突川の源流の豊富な水に守られて、見ごろです。
郡山は古くは満家院と呼ばれる頃から、その中心にありました。花尾神社をはじめ、数々の史蹟を観ることが出来ます。
秋の真っ只中、ぶらり・郡山を散策してみませんか。
詳細は次をクリック0928郡山の歴史ちらし[6149]
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会報「ひっとべ11号」発刊
島津義弘シリーズ「義弘は勇武英略の気質あり」姶良・桜島編
![島津義弘シリーズ「義弘は勇武英略の気質あり」姶良・桜島編 島津義弘シリーズ「義弘は勇武英略の気質あり」姶良・桜島編](https://kagoshima-shinhakken.net/wp-content/uploads/2016/11/IMG_0613-1-750x350.jpg)
2024/01/27(土) 九州制覇まであと一歩、朝鮮の役では獅子奮迅の働き、関ヶ原の戦いでは、世にいう”島津の退き口”で多くの家臣を失いながらも生還。生涯に50度の戦を切り抜けて島津を守った戦国武将でした。幼い頃から祖父日新公より”勇武英略の気質あり”と讃えられた義弘の智恵と勇気と人望に迫り、逆境をいかに乗り切ったか探ります。
詳細は次をクリックしてください。240127義弘加治木ツアーバスちらし