島津義弘の生涯を旅する3弾「島津は屈せず!駆けろ義弘!」帖佐・加治木編

島津義弘の生涯を旅する3弾「島津は屈せず!駆けろ義弘!」帖佐・加治木編

2017/01/29(日)

2年後の2019年は義弘公没後400年を迎えます。九州制覇まであと一歩、朝鮮の役では獅子奮迅の働き、関ヶ原の戦いでは世にいう”島津の退き口”で多くの家臣を失いながらも生還。生涯に53度の戦を切り抜けて、島津を守った戦国武将でした。

おかげさまで満席になりました。ありがとうございました

詳細は義弘を旅する第3弾

祝 「西郷どん」2018年大河ドラマに決定!

タイミングよくといいましょうか!私共のNPOでは鹿児島県の「明治維新150周年かごしま文化力向上提案事業」として、西郷さんをテーマに街歩きや西郷さんにゆかりの地を巡って顕彰するツアーを実施、計画しております。サイト内をよく観ていただき、ご参加いただければ幸いです。

第34回街歩き 西郷隆盛 その3「国会の開設が急務でごわす」南洲顕彰館・南洲墓地を歩く

第34回街歩き 西郷隆盛 その3「国会の開設が急務でごわす」南洲顕彰館・南洲墓地を歩く

2016/11/24(木),11/27(日)

「この国の新しい形は国会を開設して、国民から選ばれた賢人達が万民の幸福の為に、私を捨てて働くことでごわす」と・・西郷さんは早くから唱えていました。西郷さんの人生に深く分け入ってみましょう。

西郷隆盛 その3

千本いちょうと夕映えのデザートハウス

千本いちょうと夕映えのデザートハウス

2016/12/04(日)    30年程前に都会から帰られたご夫妻が、荒れた山に手ずから植え続けられたいちょうが1200本になりました。全山がまっ黄色に染まる様は壮観です。鹿屋ばら園のすぐ近く、丘の上に南欧風の瀟洒な建物が・・・最近オープンしたお洒落なデザートハウス(南風農菓舎)です。これは行くしかないでしょう。

千本いちょうと夕映えのデザートハウス

もっと知りたい!世界文化遺産へのとびら

2016/11/06(日)  [明治維新150年かごしま文化向上提案事業]

日本近代化の魁となった、斉彬の集成館事業は我が国を列強国から守らねば、との強い決意からでした。在来技術を駆使して近代化に挑んだ先人たちの苦労が世界文化遺産の登録となったのです。この事業は表記の事業の助成金を頂いております。

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詳細は・・世界文化遺産へのとびら

おかげさまで満席となりました。

出水の日本一厳し~い関所と甘~いみかん狩り

2016/11/26(土)  肥後との国境、野間之関は日本三大関所といわれ、中でも野間之関は龍馬や幾多の有名人が断念したという厳しい関所でした。そして甘いみかんの集積地出水、中でも立ち寄るところは特別です。ちぎったみかん一袋(約5K)はお持ち帰りです。晩秋の一日を愉しみましょう。

野間之関とみかん狩り

おかげさまで満席となりました。

第33回街歩き 西郷隆盛その2「おいどんの命はおはん達にあげもそ」城山編

第33回街歩き 西郷隆盛その2「おいどんの命はおはん達にあげもそ」城山編

2016/10/27(木),10/29(土),10/30(日) 遣韓論に敗れて下野した西郷は私学校を作りました。その私学校生が弾薬庫を襲い、西南戦争が勃発します。西郷が私学校を作ったわけ?なぜ西南戦争は起こったのか?西郷はこの戦いをどのように考え、日本の将来をどのように見つめていたのでしょうか。

西郷隆盛その2

第32回街歩き親子でたどる明治維新150年の歴史・西郷さんを訪ねる 南洲顕彰館・西郷墓地

第32回街歩き親子でたどる明治維新150年の歴史・西郷さんを訪ねる 南洲顕彰館・西郷墓地

2016/10/16  「明治維新150年かごしま文化力向上提案事業」

1877年(明治10年)9月24日 西郷さんは故郷鹿児島で自害しました。49才でした。

「敬天愛人」とは自分を愛するように人を愛するということです。西郷さんの大きい目は温かく包み込む慈愛に満ち溢れています。西郷さんの一生を顕彰館と墓地で静かに振り返ってみましょう。

32回親子街歩き

もっと知りたい!西郷さんの足跡を訪ねて・・第2弾

2016/10/23(日) [明治維新150年かごしま文化向上提案事業]

「近頃、私はよいものを手にいれましてなぁ!」と斉彬は若き西郷を勝海舟をはじめ当代の賢人達に吹聴していました。斉彬の薫陶を得て成長した西郷、弱い人々に心を寄せて新しい国家を作ろうとした西郷、その底辺に流れる西郷像を探りに参りましょう。このツアーは表記の事業の助成を頂いています。

西郷武屋敷南洲翁開墾地遺跡碑 (1)

詳細は 西郷さん寺山

 

 

 

第31回街歩き「木屋町から金生町へ」

2016/10/13(木)  金生町の山形屋デパートは、江戸時代、出羽の国(山形県)の紅花商人・源右衛門が薩摩にきて呉服店を開いたのが始まりです。その頃は木屋町と呼ばれていましたが、金生町(かなふまち)となりました。いったいそのわけとは?

木屋町から金生町へ