第35回街歩き「西郷吉之助はどこにおるか!」水上坂・常磐町・西田町を歩く

第35回街歩き「西郷吉之助はどこにおるか!」水上坂・常磐町・西田町を歩く

2017/05/25(木)  「西郷吉之助はどこにおるか!」、水上坂の御仮屋で、斉彬公はお供の者にお尋ねになりました。指さす先の西郷の姿に、深くうなずかれました。斉彬公に見い出されて参勤交代のお供に加えられて、出発してすぐのことでした。斉彬公と西郷の運命的な出会いの始まりでした。

詳細は35回西郷吉之助はどこにおるか水上坂

 

第34回街歩き 西郷隆盛 その3「国会の開設が急務でごわす」南洲顕彰館・南洲墓地を歩く

第34回街歩き 西郷隆盛 その3「国会の開設が急務でごわす」南洲顕彰館・南洲墓地を歩く

2016/11/24(木),11/27(日)

「この国の新しい形は国会を開設して、国民から選ばれた賢人達が万民の幸福の為に、私を捨てて働くことでごわす」と・・西郷さんは早くから唱えていました。西郷さんの人生に深く分け入ってみましょう。

西郷隆盛 その3

第33回街歩き 西郷隆盛その2「おいどんの命はおはん達にあげもそ」城山編

第33回街歩き 西郷隆盛その2「おいどんの命はおはん達にあげもそ」城山編

2016/10/27(木),10/29(土),10/30(日) 遣韓論に敗れて下野した西郷は私学校を作りました。その私学校生が弾薬庫を襲い、西南戦争が勃発します。西郷が私学校を作ったわけ?なぜ西南戦争は起こったのか?西郷はこの戦いをどのように考え、日本の将来をどのように見つめていたのでしょうか。

西郷隆盛その2

第32回街歩き親子でたどる明治維新150年の歴史・西郷さんを訪ねる 南洲顕彰館・西郷墓地

第32回街歩き親子でたどる明治維新150年の歴史・西郷さんを訪ねる 南洲顕彰館・西郷墓地

2016/10/16  「明治維新150年かごしま文化力向上提案事業」

1877年(明治10年)9月24日 西郷さんは故郷鹿児島で自害しました。49才でした。

「敬天愛人」とは自分を愛するように人を愛するということです。西郷さんの大きい目は温かく包み込む慈愛に満ち溢れています。西郷さんの一生を顕彰館と墓地で静かに振り返ってみましょう。

32回親子街歩き

第31回街歩き「木屋町から金生町へ」

2016/10/13(木)  金生町の山形屋デパートは、江戸時代、出羽の国(山形県)の紅花商人・源右衛門が薩摩にきて呉服店を開いたのが始まりです。その頃は木屋町と呼ばれていましたが、金生町(かなふまち)となりました。いったいそのわけとは?

木屋町から金生町へ

第30回街歩き 西郷隆盛「座右の銘は敬天愛人」加治屋町・上之園町界隈

第30回街歩き 西郷隆盛「座右の銘は敬天愛人」加治屋町・上之園町界隈

2016/09/29(木),10/01(土) [明治維新150年かごしま文化向上提案事業」

9月は西郷さんの命日です。太い眉に大きい目「巨眼(うどめ)さぁ」と親しまれた西郷さん。いったい西郷さんてどんな人だったのでしょうか?生誕地から借家住まいの跡地から、真実を読み解きます。

詳細は 30回西郷隆盛「敬天愛人」その1

第29回街歩き「親子でたどる明治維新150年の歴史」西郷さんを訪ねて・その2城山・洞窟・終焉の地

2016/9/18(日) [明治維新150年かごしま文化向上提案事業]

私学校の生徒たちが暴発した事件に西郷さんは乗って、西南戦争となりました。なぜ西郷さんは乗ったのでしょうか?西南戦争最後の舞台となった城山を歩きながら、親子で考えてみましょう。

詳細は 29回親子でたどる明治維新年の歴史・西郷城山

第28回街歩き「親子でたどる明治維新150年の歴史」西郷さぁをもっと知りたい!

第28回街歩き「親子でたどる明治維新150年の歴史」西郷さぁをもっと知りたい!

2016/7/31(日) 「明治維新150年かごしま文化向上提案事業」その1
太い眉に大きい目「巨眼(うどめ)さぁ」と親しまれた西郷さん。とても優しい心の持ち主でもありました。明治という新しい時代に「人間はみんな平等である」という考えのもとに国造りをしようとした西郷さんは一体どんな人だったのでしょうか?

28回親子でたどる明治維新年の歴史加治屋町

第26回街歩き「ジオと歴史の石橋公園と多賀山

第26回街歩き「ジオと歴史の石橋公園と多賀山

2016/04/28(木), 2016/05/01(日) 石橋公園をジオと歴史の両方から見て歩きましょう。薩摩にも優秀な石工がいたことがわかります。多賀山は中世の東福寺城址や”東洋のネルソン”東郷平八郎元帥に出会えます。

26回石橋公園・多賀山