2016/11/06(日) [明治維新150年かごしま文化向上提案事業]
日本近代化の魁となった、斉彬の集成館事業は我が国を列強国から守らねば、との強い決意からでした。在来技術を駆使して近代化に挑んだ先人たちの苦労が世界文化遺産の登録となったのです。この事業は表記の事業の助成金を頂いております。
詳細は・・世界文化遺産へのとびら
おかげさまで満席となりました。
2016/11/06(日) [明治維新150年かごしま文化向上提案事業]
日本近代化の魁となった、斉彬の集成館事業は我が国を列強国から守らねば、との強い決意からでした。在来技術を駆使して近代化に挑んだ先人たちの苦労が世界文化遺産の登録となったのです。この事業は表記の事業の助成金を頂いております。
詳細は・・世界文化遺産へのとびら
おかげさまで満席となりました。
2016/11/26(土) 肥後との国境、野間之関は日本三大関所といわれ、中でも野間之関は龍馬や幾多の有名人が断念したという厳しい関所でした。そして甘いみかんの集積地出水、中でも立ち寄るところは特別です。ちぎったみかん一袋(約5K)はお持ち帰りです。晩秋の一日を愉しみましょう。
おかげさまで満席となりました。
2016/10/27(木),10/29(土),10/30(日) 遣韓論に敗れて下野した西郷は私学校を作りました。その私学校生が弾薬庫を襲い、西南戦争が勃発します。西郷が私学校を作ったわけ?なぜ西南戦争は起こったのか?西郷はこの戦いをどのように考え、日本の将来をどのように見つめていたのでしょうか。
2016/10/16 「明治維新150年かごしま文化力向上提案事業」
1877年(明治10年)9月24日 西郷さんは故郷鹿児島で自害しました。49才でした。
「敬天愛人」とは自分を愛するように人を愛するということです。西郷さんの大きい目は温かく包み込む慈愛に満ち溢れています。西郷さんの一生を顕彰館と墓地で静かに振り返ってみましょう。
2016/10/23(日) [明治維新150年かごしま文化向上提案事業]
「近頃、私はよいものを手にいれましてなぁ!」と斉彬は若き西郷を勝海舟をはじめ当代の賢人達に吹聴していました。斉彬の薫陶を得て成長した西郷、弱い人々に心を寄せて新しい国家を作ろうとした西郷、その底辺に流れる西郷像を探りに参りましょう。このツアーは表記の事業の助成を頂いています。
詳細は 西郷さん寺山
2016/10/13(木) 金生町の山形屋デパートは、江戸時代、出羽の国(山形県)の紅花商人・源右衛門が薩摩にきて呉服店を開いたのが始まりです。その頃は木屋町と呼ばれていましたが、金生町(かなふまち)となりました。いったいそのわけとは?
2016/09/29(木),10/01(土) [明治維新150年かごしま文化向上提案事業」
9月は西郷さんの命日です。太い眉に大きい目「巨眼(うどめ)さぁ」と親しまれた西郷さん。いったい西郷さんてどんな人だったのでしょうか?生誕地から借家住まいの跡地から、真実を読み解きます。
詳細は 30回西郷隆盛「敬天愛人」その1
2016/9/18(日) [明治維新150年かごしま文化向上提案事業]
私学校の生徒たちが暴発した事件に西郷さんは乗って、西南戦争となりました。なぜ西郷さんは乗ったのでしょうか?西南戦争最後の舞台となった城山を歩きながら、親子で考えてみましょう。
2016/9/25(日) 戦国の乱世に生まれた義弘は日向の伊東氏に対峙するために飯野で26年間過ごしました。義弘の、よき夫、よき家庭人としての意外な一面に出会える旅です。
「九州ふっこう割り」の対象商品です。先着28名様限定 義弘えびのツアーチラシ0925