恥ずかしながら、訪れたのは初めてでした。原口教授のツアーでした。登録予定の世界文化遺産、産業革命遺産の構成群の一つです。集成館事業の製鉄事業は大量の水と良質な燃料を必要としたのですが、下田の取水口から仙厳園まで延々8km引っ張ったわけです。元々関吉の疎水は元禄のころ、近辺の灌漑用水として使用されていたものを、斉彬が延長させて使わせたということです。取水口は静寂につつまれた、夏に行きたいところでした。
寺山公園の一角、森の中にひっそりと苔むして炭焼き窯はありました。近くには西郷隆盛が150名の学生と共に拓いた吉野開墾社の碑があります。碑文「きらすの汁に芋飯食い馴れ候」とあります。やっぱりせごどんです。
炭焼き窯は直系5~6m、高さ4mの石積みですが、試行錯誤の後の最後の3基目が残っています。樫や椎など堅い素材で白炭といわれ1300度の高熱を出せたそうです。昔のさつま人はスゴイ!
記念碑の碑文を読み解く原口泉教授